欲も、目的も、本来は悪いものではない。
それに“縛られたとき”だけ、人は苦しみ始める。
欲とともに
私たちはいつのまにか、
「生きていること」よりも
「何かを得ること」
「何者かになること」
「どこかに到着すること」に
生きる軸を置くようになってしまったのかもしれない。
本当は私たちは、
生かされ、体験するために生まれてきた存在だと思うのですが。
そのことを、
少し忘れてしまっただけなのかもしれない。
ということで、少し調べてみました。
ブッダ(仏陀)は、こう説いているらしいです。
「人は“欲”によって苦しむ」
欲とは、
・もっと欲しい
・こうなりたい
・こうでなければならない
という、「到着点を求める心」そのものです。
そしてブッダは、こうも教えました。
「今」に意識を向ける(念)
つまり、
「今ここ」から離れた瞬間、人は迷い、
“どこかに行こうとした瞬間に、苦しみが始まる”
ということとも言えるのだと、私は思います。
老子(道教)も、同じようなことを語っています。
「足るを知る者は豊かである」
── すでに持っているものに気づき、満ちていると知っている人こそ、本当に豊かな人だという意味。
「為さずして成す」
── 無理に動かそうとせず、自然の流れに身をゆだねて生きることで、物事はおのずとうまく運んでいくという意味。
老子の教えは、
“無理にどこかに到着しようとしなくても、
私たちはすでに、流れの中で生かされている”
という思想です。
目標を否定しているのではなく、
老子が見ていたのは、
「目的に縛られてしまう心」
そのものだったのだと、私は思うのです。
私が思うには、
欲も、目的も、本来は悪いものではない。
それに“縛られたとき”だけ、人は苦しみ始める。
――ということではないでしょうか・・・・
また、縛られている人が多いとも感じます・・・・
今のままではダメだとせかされているように感じる・・・・
全てに感謝を
MAHALO NUI LOA
Nanako’s Letters
日々が軽やかになる言葉集









